泉水博さんのこと
2012-09-25


……というようないきさつと因縁があって、監獄法が百年ぶりに「改正」され、確定囚に対しても親族以外の面会や手紙の発受ができるようになったというんで、私も’07年7月から、岐阜刑の泉水さんにほぼ月一回の面会に行くようになった。
 「はじめまして」と挨拶したら、泉水さんなんだか照れたようやったなあ。小柄で職人のようなきびきびした体つき。70歳やった(今75)。温厚で人当りのよい、ちょっとはにかみ屋で、とっても律儀な感じで……。
 泉水さんからこんな手紙をもらった。
 『朝、夜明けの時間から2時間位の間はこの時刻でもそのすがすがしさを感じさせてくれ、室内にあっても気分のいいものですから、何も出来ない此処にあって唯座っている丈なのですが、その時間を起きて過ごしている私です。年寄りだから眼ざめが早いので……と笑わないで下さい。私にとって、それが今最高に至福のひと時でもあるのです。床の中であれこれ思いめぐらしたり考えたりすることより、何も考えずに自然の音の中に丈ひたりいることを、すばらしいことと感じているのです。 社会にあってご多忙に過ごす方々にとったら何をのん気な!と叱られるかも知れませんが……
 元気でこの夏をのり切りましょう。また書きます。』
 泉水さんは、こんなにも澄んだ感性の持主なんや……囚われの身でありながら、心は囚われていない……。 
 わたしは泉水さんとの面会を楽しみにするようになっていた。
 それが、突然、’10年10月「親族以外は不許可」と門前で言渡された。わたしだけやない。身柄引受人の由井神父以外ことごとくや。
 泉水さんから手紙がきた。
 「裁判をおこせば、昼夜独居拘禁処遇が待ってるかもしれないし、果ては仮釈放は完全に望めなくなるかもしれないけど、開き直りでも捨て鉢でもなく……人として生きたいとするこれまで過ごしてきた生き方を止めてまで、また自身をも裏切ってまで社会に出ることに執着するつもりはありません……これまでの獄中生活を通して、何でもかでも反対、また自分の意にそわないからと反抗するなどといったことは唯の一度もありません……人として最低限許される権利まで放棄して生きることはできない……人として恥ずかしい生き方はすまいとした私なりのこれまでの生き方・志を貫きとおして生きてゆく所存です……例え本人訴訟という形であっても、やりぬかなければとも考えています」

●去年7月22日、私達は岐阜地裁に、獄外原告八人と共同訴訟を起こした。弁護人は願ってもない安田好弘さんと山下幸夫さん。
●泉水さんは、通算したらすでに40年を獄中で過ごしている。法務省の通達によれば「刑の執行が開始された日から30年が経過したときは、その経過した日から起算して1年以内に仮釈放審理を開始するものとする」とある。泉水さんはただちに仮釈放されねばならい。泉水さんが今なお獄中にあるのは何の罪によってか! 岐阜刑に移監されたとき、所長から「おまえは絶対にださないからな」と云われてるんや──。
●次回第6回公判は10月18日(木)15時〓、岐阜地方裁判所。
●「泉水国賠通信」の申込みは「救援連絡センター」(東京都港区新橋2-8-16 石田ビル5階)気付、泉水国賠通信編集人まで。

水田ふう

*初出「支援連ニュース」No.350(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議, 2012.8.29)
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